<いい歳をした大人が、親子ほど歳の離れた人間を恋愛感情込みで推す感情は、本来ちょっと恥ずかしいと捉えるべきではなかろうか。>(「新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などできない理由」ニューズウィーク日本版 2024年5月10日配信)
筆者も西谷氏と同意見です。ネット上では男性を中心に、ずる賢く金品をせびる女性への批判が多くあがっていますが、むしろそこで怪しいと感じるセンサーが働かない男性側のほうが深刻なのではないでしょうか。それこそが、西谷氏の言う客観性の欠如だからです。
しかしながら、これを中年男性だけの問題とすることにもためらいを感じます。なぜなら、男は物心ついたころから仕事で成功し、稼ぎ、いい女と付き合うことがゴールだと教えられてきているからです。
こうした罠にハマってしまう根源には、“モテ”があるのではないでしょうか。このモテなければという強迫観念が客観性を失わせ、年齢なりの余裕、良い意味での諦めを失わせてしまう。それが幼少期から刷り込まれていたとしたら病巣は根深いと言えるでしょう。
そうした中で、2019年に発売された『自分をもっと好きになる【ハピかわ】かわいいのルール』(池田書店)が、いま20~40代の男性に売れている(※)のは象徴的な出来事です。小学校高学年の女子に向けた本に、なぜ社会人男性が感銘を受けているのでしょうか?
『ハピかわ』のコンセプトは明快です。他人との関係をどうやって気持ちよく作っていくか。そのための具体的な方法を細かく説明しているのです。たとえば、人の目を見て挨拶をする。猫背にならない。下品ではない笑顔の作り方。清潔感あるファッション。
こうした内容から伝わるのは、自分という人間は他人のために存在しているということ。そうした心配りが相手に伝わるような振る舞いこそが重要だと言っているのですね。そう、まさに客観性の話なのです。
モテるモテない以前に人としてわきまえておくべきことを教えてくれるのです。
筆者は『ハピかわ』を読んで、これは紳士の心得そのものではないかと思いました。アメリカでロングセラーの『HOW TO BE A GENTLEMAN』という本があります。2022年には改訂版の日本語訳『ドアはあけたらおさえましょう』(ジョン・ブリッジズ 訳酒井章文 サンマーク出版)が発売されました。コンセプトは全く『ハピかわ』と同じです。
<大事なのは、まわりの人が気兼ねなくいられるようにすること、嘘偽りなく、心からすてきな人物でいることだ。>(p.4)
<紳士の目標とは、自分のためではなく、友人や知人、そして世界全体のために、その場を暮らしやすくすることなのだ。>(p.267)
こうして言葉遣い、テーブルマナー、メールの返信の仕方、会釈の大切さなどを、あらゆるシチュエーションを想定して説いている本です。
なぜ日本にはこのような男性向けの教科書がないのか。あったにしても、なぜモテ要素が入ってきてしまうのか。
そこに闇を感じるのですね。
これからの社会、特に労働市場はどんどん女性が有利な環境になっていきます。これまでは男性上位だったテクノロジー、科学、数学などの分野でも女性の方が優れた業績を残す傾向にあるとの調査結果もあります。
これまでのように男が職業や経済活動において主導権を握る状況がますます成り立ちにくい世の中になりつつある。その中で、稼ぐ力、モテのみを男の価値とすることには無理が生じてきます。
社会全体として、新しい男性像を構築しなければならない
稼げる稼げない、モテるモテないではなく、社会全体としてもう一度新しい男性像を構築していかなければならないと言っているのです。
具体的に共有できるイメージがないから、何をもって男であるかが、誰もわからなくなってしまったのですね。
小学校高学年の女子に向けた本から40代の男性が学ぶ構図も、これに当てはまるのかもしれません。
いずれにせよ、タワマン刺殺事件、『ハピかわ』現象からは、長らくほったらかしにされてきた男の教育という問題が浮かび上がってくるのです。(抜粋)
https://approach.yahoo.co.jp/r/QUyHCH?src=https://news.yahoo.co.jp/articles/53db72fc612803da057e7850cec16b0898791548&preview=auto
引用元: ・【論説】頂き女子に騙される「おぢ」多数…日本は男性教育がおろそかにされてきたから
おっさんになるまで女と遊んだり付き合ったりしなかったから金目で近づいて来た若い女に食い物にされるんやで。
金も見た目も努力もせずモテるわけがない
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