2年ほど前のことだろうか。私は防衛省で戦史を研究している職員からこんな話を聞いたことがあった。 戦犯として処刑された日本軍人の中に、洪思翊(ホンサイク)という名の朝鮮出身の中将がいた。
1910年の日韓併合後、日本軍の軍人や軍属に朝鮮出身者がいたことは知っていたが、処刑された軍高官の存在は意外だった。日本軍人としてどんな思いで戦い、遠く離れた異国の地でどんな最期を迎えたのか。そんな疑問が今回の取材の出発点だった。
【連載】忘れられた朝鮮人戦犯
来年は終戦80年。戦時中の東南アジアには、朝鮮半島出身の日本軍高官がいました。多くの朝鮮人が捕虜収容所に監視員として配属されました。戦後、軍事法廷で有罪となった彼らはどんな人たちだったのか。記者が足跡をたどりました。
45年の終戦により、朝鮮半島は日本統治から解放され、65年には日韓の国交が正常化した。元慰安婦や元徴用工など当時は認識されていなかった問題もあったが、政治的に救済を図る動きが進んだ。
一方、こうした流れに取り残されたのが148人の朝鮮出身の戦犯たちだ。2021年に最後の生存者が亡くなり、詳しい記録もほとんど残っていない。
この問題に詳しい恵泉女学園大学名誉教授の内海愛子によれば、日本は戦後、住居や職業のあっせんなどを行ったが、1965年の日韓請求権協定の締結後は「解決済み」として支援に応じなくなった。一部の元戦犯らは日本政府に謝罪と補償を求めて提訴したが、最高裁は99年12月、訴えを棄却した。
朝鮮人戦犯に対し、韓国内では「日本軍に協力した親日派」と批判的にとらえる風潮が強い。元日本外務省幹部は「韓国で救済しようという声が強くないから日韓関係の懸案にならなかった」と証言する。その結果、法的な救済から抜け落ちた形になった。
「歴史の隙間に入り込んだ人々」。内海は戦犯となった朝鮮人をこう評する。
なかでも洪思翊は、日本統治下の朝鮮出身者としては、王室を除けば最高位の階級に上り詰めた軍人だった。
※以下は有料記事です
朝日新聞デジタル 2024/5/16 20:00
https://www.asahi.com/sp/articles/ASS5H0R05S5HUHBI019M.html
引用元: ・【朝日新聞】朝鮮名貫いた日本軍中将、なぜ「歴史の隙間」に 比の処刑地で考える [Ikhtiandr★]
たしか、大臣もいたよな
どうせがっかりする
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