セナはあっけなく逝ってしまった
1994年5月1日。サンマリノGP決勝当日のイモラは、重苦しい空気に満ちていた。
2日前の初日予選では、ルーベンス・バリチェロが時速200km以上で縁石に乗り上げて宙を飛び、タイヤバリアと金網に激突。マシンは垂直に落下し、バリチェロは衝撃で気絶。鼻の骨折や腕の打撲程度で済んだのは奇跡だった。弟のように可愛がっていたセナは、病院に駆けつけた。
翌日の予選では、ローランド・ラッツェンバーガーがコンクリート壁に衝突。モノコック左側に大きく穴が開き、ラッツェンバーガーは頭蓋骨折で即死状態だった。1987年からF1取材を始めた僕には、初めての死亡事故。「F1では人は死なない」という根拠のない思い込みに、冷水を浴びせられた思いだった。仲間の事故死に、セナは号泣したという。
そして迎えた決勝レース。各国のジャーナリストの多くは、「グランプリの最中に死者が出た。それでもレースを続行する意味があるのか」と批判的だった。僕も同じ意見だった。しかし世界数10カ国にライブ中継を行うビッグビジネスに成長していた当時のF1に、レース中止の選択肢はなかった。
5月のイタリア北部にしては、ねっとりと蒸し暑い陽気だった。スタート直後、グリッド上で立ち往生したJJレートのベネトンに、ロータス・無限ホンダのペドロ・ラミーが追突。空中に舞い上がったマシンの破片の一部がフェンスを越え、何人もの観客がケガを負った。
「もういい加減にしてくれ」と思ったのは、僕だけではなかったと思う。それでもレースは続行され、再スタートから2周後、タンブレロコーナーでコントロールを失い、コンクリート壁に激突したセナは、あっけなく死んでしまった。
セナはなぜ人々を惹きつけてやまないのか
===== 後略 =====
全文は下記URLで
https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/2024050100002-spnavi
引用元: ・アイルトン・セナ没後30年。今も解明されていない事故原因 沈黙を貫く設計者エイドリアン・ニューウィ [朝一から閉店までφ★]
一回切って溶接しなおしたところがレース中折れたんじゃなかったっけ
三宅アナが泣き叫んでいたのを憶えてる。
最後まで見ずテレビ切って寝ちゃった、たぶん。
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