アナウンサーの古舘伊知郎さん(69)が「人間山脈」「1人民族大移動」「現代のガリバー旅行記」などと絶叫したのが懐かしい。その本質は、あまりにも大きな肉体にあるのだろう。
「1人と呼ぶには巨大過ぎ。しかし、2人と呼ぶには人口の辻褄が合わない」
とも言っていたが、けだし名言である。
「大巨人」という異名で世界中の人々を湧かせたプロレスラー、アンドレ・ザ・ジャイアント(本名アンドレ・レネ・ロシモフ)である。父の葬儀に出席するため母国フランスに帰国中の1993年1月27日、心臓発作を起こしてパリのホテルで急逝。46歳という若すぎる死だった。
訃報を速報したAP通信によると、アンドレの身長は223・5センチ、体重は235・5キロとなっていた。でも、実際はもっと大きかったのではないか。
特に体重。田鶴浜弘・著「プロレス大研究」(講談社・1981年)によれば、なんと270キロとなっていた。ちなみに、足の長さは40センチもあったらしい。
いずれにせよ、「世界8番目の不思議」と呼ばれ、プロレス界でも常識を覆す桁外れの巨体。遠征先の北海道札幌市では、サッポロビール園で生ビールを大ジョッキで78杯も飲み、同園から追い出されたとか。伝説は数々ある。
フランス出身のアンドレが日本のリングに初めて上がったのは1970(昭和45)年1月。国際プロレスの試合だった。当時のリングネームは「モンスター・ロシモフ」。やがてカナダに転戦し、「アンドレ・ザ・ジャイアント」に改名した73年、ニューヨークを本拠地とするWWWF(現WWE)と契約。たちまち全米ナンバーワンの売れっ子レスラーとなった。その人気は「年収世界一のプロレスラー」としてギネスブックに掲載されたほど。しかも、そのころから「フォール負けなし、ギブアップ負けなし」の無敵のレスラーとして君臨した。
74年、アントニオ猪木(1943~2022)が率いる新日本プロレスのリングに上がる。だが、猪木以外のレスラーでは試合にならないため、日本人レスラー3人が一斉にアンドレに挑むというハンディキャップマッチも組まれた。
ところで、アンドレは日本人が大嫌いだったそうである。それは、日本人が彼をあからさまに化け物(モンスター)扱いし、見せ物小屋の異形物のような奇異の目で見たからであろう。たしかに、アンドレには異界から来た者のオーラのようなものがあった。
驚くべきことに、アンドレは来日するたびに身長も体重も大きくなっていった。ゆで卵を一度に20個も食べていたからだろうか。試合中でも大爆音とともにおならを放ち、鼻がひん曲がるほど臭かったそうである。その悪臭はリングサイドにも漂ったことだろう。巨体を生かしたボディープレスやヒップドロップのほかに、おならまでもが必殺技になるとは何ともすごい話である。
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引用元: ・【プロレス】日本人が大嫌いだったアンドレ・ザ・ジャイアントの孤独 唯一理解していたのはG・馬場だった [ネギうどん★]
そういうのもあると燃焼すれば終わる話なのかわからんけど。
今は大谷みたいに小顔が多い
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