転機は知人に連れられ訪れたいわゆる「ニューハーフ」のショーパブだった。「自分の求める世界ではない」と思っていたが、きれいなドレス姿にお客さんが称賛を贈る光景に「なんて幸せな場所だろう」と働き出した。たくましく生きる「お姉さん」から多くのことを学んだ。いじめもパタリとやみ、「居場所を見つけたからだ」と思った。
憧れの芸能界に飛び込んでからも多くの困難に見舞われたが、悩みを強みに変えて乗り越え、「必要とされる喜び」を見いだした。
大ブレークし仕事が増え、移動中の車窓に映る美しい衣装を着た自分の姿に「死なんでよかったね。やってきてよかったね」と、声をかけた。
東京パラリンピックの開会式で、障害がある人らと共にダンサーとして出演。「コンプレックスを受け入れてくれて、話せる空気があり心地よかった。カバーし合える優しさが社会にあふれてほしい」と振り返った。子ども食堂などの活動を通じ、「言い出せないけど貧困に苦しんでいる人は実は身近に多くいる」と痛感してきた。「物価も上がり大変な時代だけど、人のことを考えるポケットだけは開けていたい。みんながつながることが大切」と強調した。
続きは埼玉新聞 2024/04/01/11:27
https://www.saitama-np.co.jp/articles/73941/postDetail
引用元: ・「死なんでよかったね」車窓の自分に声かけた…はるな愛さん、悩み苦しんだ半生と“居場所”の大切さ語る [おっさん友の会★]
>転機は知人に連れられ訪れたいわゆる「ニューハーフ」
>のショーパブだった。~~いじめもパタリとやみ、「居
>場所を見つけたからだ」と思った。
いくつの時にショーパブと出会ったんだろう?
そこそこ大人になってからだと周りも成長していじめがなくなったとも思える
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